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イタリア国営放送で歴史番組を制作する日本人女性監督。海外で働くバイタリティとは

クリエイティブ , グローバル , ソーシャル , 働き方

文:矢田明美子 写真:ミライ・プルビレンティ

イタリアの国営放送局RAIで、歴史番組の監督として活躍する長澤愛さん。「あまり考えずにここまできた」と笑う彼女だが、成人してから学んだイタリア語を駆使して、自分が生まれ育ったのではない国の歴史ドキュメンタリーを国営放送レベルで監督するなど、そう簡単にできることではないはずだ。大阪外国語大学在学中にイタリア留学、語学学校に在籍しながらテレビ業界に関わりはじめる。大学卒業後、映像の編集者としてイタリアのテレビ制作会社に正社員として勤務。30歳のとき、会社勤めをしながらローマ大学に入学し、宗教歴史学を学ぶ。その後、会社を辞め、ドキュメンタリー監督の道へ。手探りだが、とにかく自分の手で自分の道を切り開いてきた彼女のこれまでをローマにて伺った。

なんとなく選んだイタリア留学から、テレビ業界へ

― どういう経緯でイタリアへ行ったのですか?

大学ではロシア語専攻だったんですが、ロシアへの思い入れはあまりなかったんです。大学3年のときにロシア、ドイツ、イタリアを巡る旅をしました。日本に戻って、普通に就職活動もしたんですけど、しっくりこなくて。そこでイタリアのペルージャ外国人大学に留学することに決めました。以前回った3カ国の中で、一番暮らしやすそうなのはイタリアだったな、と、そんな感じで選択したんですけど。大学は休学して、半年間、朝から晩までアルバイトをしてまずお金を貯め、イタリアに渡りました。ラッキーなことに、ちょうどサッカーの中田選手がペルージャのチームにいた頃で、ペルージャ情報を求める日本のメディアが多かったんです。私のところにも日本のテレビのお手伝いをするアルバイトがいろいろ回ってきまして、そのあたりから、テレビ制作との関係が生まれはじめました。

長澤愛

― 映像の勉強をしたわけではないんですよね?

そうなんです。でもフィレンツェにある写真の専門学校マランゴーニには週に1回、通っていました。写真がもともと好きなのと、「なにかを作りたい」という気持ちがあったんです。テレビ制作のお手伝いをしている間に、イタリア人の若手映像作家とも知り合いになって、彼らと「日本の若者」をテーマにしたドキュメンタリー作品を作ろう、ということになりました。東京で彼らと、村上龍さんに取材をしたりしました。1999年のことです。それが私の初めての作品ですね。そこでの役割は、日本のなにを取材すべきかリサーチして内容を決めていくことでした。

― 女優業もされていたとか。

女優というほどではないですよ。たまたまCMに出ないかと誘われて、若い頃は稼ぎも少なかったし、CM出演はギャラも良いので、やってみたんです。イタリアの大手食品会社のCMで、3年間も放映されていました。

― そこからどうやってイタリアの会社に雇用されるまでになったのですか?

日本に一度戻り、大学を卒業して、「日本の若者」をテーマにしたドキュメンタリーを撮影して、再びイタリアに渡りました。特に仕事があるわけでもないので、まずは日本で撮ってきたものを編集する作業を始めました。撮影してきたものをすべてチェックして、その中から必要な部分だけを抽出し、時間や挿入曲、カットのタイミングなど様々なことを考えてベストの形に持っていく作業です。この仕事が自分に向いていると感じたので、コンピューターでの編集技術など様々なテクニックを自力で学びました。それなりに編集ができるようになった頃、一緒にドキュメンタリーを制作した友人たちが、彼らの映像制作会社に編集者として雇ってくれたんです。そこで13年間、様々な映像を編集しました。

― イタリア語で仕事をすることに苦労はなかったですか?

仕事はなんとかこなしていましたが、自分のイタリア語はきちんと勉強をしてきた人のレベルではない、ということは分かっていました。そこで、30歳のときに、ローマ大学に入学したんです。もともと興味があったのと、せっかくローマなので宗教学を専攻して3年間通って卒業。その後、より高度で実戦的なマスターコースという部門で宗教と文化交流について1年間勉強しました。

― 会社員をしながらですか?

はい。会社がかなり融通を利かせてくれたおかげです。その点は、本当に感謝しています。イタリアには夜間大学がないので、日中のクラスに行くしかないのですが、イタリアは社員が勉強をすることに関して、とてもサポーティブです。大企業には、勉強する期間、休職させてくれる制度などが当たり前のようにある。もちろん、私もがんばりましたよ。出られない授業は友達に録音してもらったり、いろいろ努力しましたね。イタリアの大学は、日本とはまったく違って、勉強量も多いし、勉強の仕方も全然違う。人任せではなく、自分の頭で考えて勉強しなければならない。大学では宗教学だけでなく、そういったイタリア的な自分で考える力も習得したと思います。マスターコースまで修了し、イタリアでプロとしてやっていく自信がつきましたね。

長澤愛

― 編集者から監督へ、その経緯を教えてください。

編集の仕事は、監督と一つの作品ができあがるまでみっちり一緒に過ごすので、監督の気持ちがよくわかるようになります。様々な監督の想いを、編集作業で具現化していくうちに「私だったらこうするのにな」という自分なりの考えが出てくるようになりました。私の意見を反映してくれる監督もいましたが、あくまで編集者の立場を超えない範囲でしか意見はできない。もともと外に出るほうが好きな性格だし、編集室内でひたすら作業する時期は終わったかな、と。ちょうどローマ大学でマスターコースも修了し、イタリア社会の中で新しいステップを踏み出す自信がついてきた頃でした。そのとき35歳。会社を辞め、フリーランスで監督になることにしました。

― その頃からRAIイタリア国営放送で監督としてお仕事をされるようになったのですか?

それまでいた制作会社の人たちが、私が独立したときにRAIに後押ししてくれたんです。もともとRAIの仕事もしていましたし、知り合いも多かったので、少しずつ監督としてRAIで歴史番組を担当できるようになりました。大学で卒論として「イタリア社会における多宗教」をテーマとしたドキュメンタリーを作ったこともあり、異教徒との対話・交流を積極的に行ったローマ法皇ジョヴァンニ23世のドキュメンタリー*をRAIの番組で作りました。

*ローマ法皇ジョヴァンニ23世のドキュメンタリー

― 現在はRAIと契約を結んでいらっしゃるのですか?

はい。フリーランスになって、フィルムフェスティバルに作品を出したり、映像作家団体に登録したりと、監督としての自分を確立する努力をしてきました。去年、ローマ国際映画祭で計画段階のドキュメンタリーを売り込むマーケットに参加し、そこで選出されて、第一次世界大戦のイタリア兵であり、画家であったエドガルド・ロッサーロに関するドキュメンタリーのピッチング(数分間の短い映像作品で企画のプレゼンテーションをすること)をしたんです。多くのテレビ局の人たちに会って、売り込みをしました。それを機に、RAI Storia (RAIの歴史チャンネル)から契約監督になる話をいただきました。以来、RAI Storiaで監督として、イタリアの作家マリオ・ソルダーティの生涯を描く番組や、1974年に起きたブレーシャの爆弾テロ事件についての番組を作ってきました。契約は1年ごとの更新、この9月に2年目の契約を結んだところです。

長澤愛

イタリア国営放送局RAI本社(ローマ)にて

日本に素直に向き合うきっかけとなったミラノ万博

― 昨年のミラノ万博でもRAIのスタッフとしてお仕事をされたそうですね?

Rai Expoという万博専門チャンネルの総合ディレクターから依頼を受けました。万博に関する様々なニュースを発信する仕事で、自分で内容を決めて、取材・撮影して、編集してニュースとして出す。月に4本ぐらいのペースで、1年半やっていました。もちろん、日本に関するニュース**も私の担当でした。ただ、私はそのころ「日本のことはそんなに取り上げる必要ないんじゃない?」と思っていたんですよ。無我夢中でイタリアの歴史番組を作ってきて、「イタリア人になりたい」「日本よりイタリア」と思っていた。でも、万博を通して、世界と日本、両方の文化を理解した上で、きちんと大切なことを伝えようとしている日本人の方々がいることを知りました。そこで自分がいかに凝り固まった考えをしていたか、気づかされましたね。

― 今後、監督として取り組んでいきたいテーマはありますか?

イタリア、イタリアとやってきた私ですが、これからは日本に関する歴史ものを作りたいと思っています。今年は日伊外交150周年の記念年なので、RAIと日本のテレビ局の共同制作で日伊外交のドキュメンタリー番組を作りました。年内に放映予定です。それから、ヨーロッパで深刻な移民問題にも興味があります。私も言ってみれば「移民」なので、他人事には思えません。

イタリアの日本人だからこそできること

― イタリア社会で働く上で、日本人であることのメリット、デメリットは?

イタリアのテレビ業界は特に男性社会なので、なめられやすい。「日本人女性=かわいい、優しい」と思われてますからね。失礼にならないよう、しかし、自分の意思表示はきちんとするようにしてきました。外国人であるメリットは、知っていて当たり前と思われないので、率直にいろいろ質問できること。わからないことやおかしいなと思うことは、なんでも聞いてみる。相手が答えにつまれば、相手側にもやっぱりおかしい点があるということが見えてきますしね。

― イタリアと日本、仕事の仕方の違いを簡単に言うと?

日本の仕事は、段取りが非常に細かいですが、ヴィジョンがないことが多い気がします。イタリアは最後の最後までなんにも決めないでハラハラしますが、明確なヴィジョンを持っている。また個人個人の才能ややりたいことを本当に大切にする。それはイタリアの最大の美点だと思います。私の仕事の仕方は、もはやイタリア式。でも日本のやり方も美点もわかるので、日本の仕事をするときは、日伊の間の調整役を買ってでています。

― 海外で仕事をしたいと思う方々に、アドバイスはありますか?

あまり考えずにここまできたので、アドバイスなんて・・・。でもひとつ言えるのは、とにかく現地の社会に入り込むことです。私は語学学校では極力、日本人とは一緒にいないようにしました。やりたいことに関する専門学校に行くなりすれば、それに関連したコミュニティーが必ずあります。そこにしっかり入っていくことです。あとは、これだけは譲りたくない、というものは絶対に譲らない。これ、大事です。

長澤愛

**Rai Expoのウェブサイトでは長澤さんが手がけたニュース番組が多数紹介されている。:
ミラノ魚市場で仕入れをする日本の料理人
日本館閉館の模様

プロフィール/敬称略

長澤愛(ながさわ・あい)

1973年、宝塚生まれ。1997年よりイタリア在住。大阪外国語大学ロシア語学科3年時にペルージャ外国人大学に留学。一時帰国して大学卒業後、再びイタリアへ渡り、伊テレビ番組の編集者として会社員生活を送る。仕事をしながらローマ大学に入学。宗教歴史学科とマスターコースを修了。その後、会社から独立、フリーのドキュメンタリー監督に。現在は主にイタリア国営放送RAIで歴史番組を監督する。

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